【万博インタビュー②】26カ国の荷を動かせ!若手フォワーダーの万博奮闘記
―国際統括本部 国際物流関西支店 業務二課 インタビュー
・山咲 明子さん(2014年入社)
数々の異動を経て、現在は約8年にわたって国際物流実務に携わってきた“何でも相談される存在”。膨大な案件を同時に動かすマルチタスク力が光る。一方で、3歳の子どもを育てる母として、「子育てをしながら国際物流の最前線で働き続ける」ロールモデルを目指している。
・白川 博之さん(2022年入社)
鴻池運輸では入社当初から国際物流関西支店業務二課に所属。主に営業として活躍。英語でのコミュニケーションや説明力、そして前職(物流会社)時代に築いたネットワークを生かし、今回の万博案件では前職との橋渡し役として欠かせない存在に。「ゴリゴリの営業」「人を巻き込むのがうまい」と同僚が評する、攻めのフロントマン。
・小池 正峻さん(2022年入社)
新卒入社後、国際物流関西支店業務二課に配属され、万博案件へ参画。万博協会への訪問など、初期段階から案件に深く入り込み、最終的には途上国26カ国分の書類・実務対応を担うまでに成長した。「誠実で、要点をつかむのが早い」「人を巻き込んで物事を前に進める力がある」と先輩たちが口を揃える、推進役。
今回3人が中心となって担当したのは、いわゆる「タイプC」と呼ばれる国々のパビリオン。各国が単独で建物を持つタイプA・Bと違い、共同スペースに多数の国が入る形態で、展示規模は小さくとも、参加国数は一気に増えます。
結果として、KONOIKEはアフリカ、カリブ海、南米などを中心に26カ回3人が中心となって担当したのは、いわゆる「タイプC」と呼ばれる国々のパビリオン。各国が単独で建物を持つタイプA・Bと違い、共同スペースに多数の国が入る形態で、展示規模は小さくとも、参加国数は一気に増えます。
結果として、KONOIKEはアフリカ、カリブ海、南米などを中心に26カ国の展示品輸送を担うことになりました。
当初、万博協会の輸送スキームは海上輸送が前提。しかし各国の準備遅れで、会期3カ月前の12月になっても、必要な情報や貨物が揃わない。海上ではとても間に合わない状況の中、協会から当社に飛んできたのが「他社が受注している分も含めて、航空輸送でなんとかできないか」という相談でした。
ここで鍵を握ったのが、前職で物流会社に在籍していた白川さんの存在。
「前職のネットワークを辿りながら、前職の物流会社に運賃協定の相談をして、そこに当社のマージンを乗せて協会に再提案しました」(白川さん)。
結果、当初はわずか数カ国だった受注が、追加で20カ国超に拡大。まさに「この方法を提示できたのはうちだけ」(小池さん)という、KONOIKEならではの逆転劇でした。
そこからが本当の闘いの始まりです。
山咲さんが振り返る一番の大変さは、「日本の当たり前が通じない」ことでした。各国には「この日までにパッキングリストを出してください」という締め切りがあるものの、守ってこない。書類が遅れれば遅れるほど、日本側での内容確認や輸入可否判断が後ろ倒しになり、最終的にはフライト直前になって「これは入れていいのか、ダメなのか」を見極めなければならない状況に追い込まれます。
加えて、展示品の中にはワシントン条約の規制対象になり得る木材や、銃刀法に関わる「武器」も混じります。「木彫りや装飾品を見て、『この木は大丈夫か?』から一つ一つ確認していく。条約該当の可能性があれば、事前にライセンスが必要です。止めると『それを外すと展示の意味がなくなる』と大使館からクレームが来ることもありました」(山咲さん)
なかでも印象的だった案件がある。提出されたリストに怪しい品目が多く、「これはダメ」「これも外してください」と削っていったところ、「これでは展示が完成しない」と、外務省や大使館から直接電話が入る事態に。
「相手は現地の要人。英語でのやり取りの中でも、“ダメなものはダメ”と引くべき線は絶対に譲らない。税関、経産省にも掛け合って、最終的に必要なライセンスをなんとか取得して間に合わせました」(山咲さん)
別の案件では、他国から到着した展示品の中に「武器」が含まれており、日本到着と同時に税関と警察が大騒ぎに。
「税関から電話が来て、『これはどういう品目ですか?』と説明を求められて…。関空まで行って、警察と一緒に木箱を開けて、中身を一つ一つ確認しました」(小池さん)
小池さんが最も「責任とやりがい」を感じたのは、26カ国との時差コミュニケーションでした。
「アフリカやカリブ海の国々とスムーズに連携するために、あえて自分の生活リズムを現地に合わせることにしたんです。夜9時、10時から『Good morning!』と挨拶してやり取りを始めるのは新鮮な体験でした。」(小池さん)
2月末から会期直前の3月にかけては、まさに世界中と並走する日々。
「体調を崩すほど、プレッシャーと使命感のダブルパンチでした。それでも、僕らが止まると本当に万博会期に間に合わないので、“やるしかない”という気持ちでした」(小池さん)
その裏で、山咲さんは通関・官庁・検疫との折衝に奔走し、白川さんは協力会社との調整や運賃条件の最終詰め、そして各国向け送り状の作成まで手を動かしました。
「前職では営業だったので、送り状を自分で作るなんて正直やったことがなかったんです。でも『やる人がいないなら自分がやるしかない』と。20数カ国分、ひたすら入力し続けたのはなかなか忘れられないですね」(白川さん)
そんな日々の先にあったのは、会場での“ご褒美”でした。
「パッキングリストの写真でしか見たことがなかった展示品が、実際に万博会場に並んでいるのを見た時、『ああ、やり切った』って。SNSでも思った以上に盛り上がっていて、『評判いいらしい』という声を見ると、“ここ運んだの、うちらやで”って、ちょっと誇らしかったです」(山咲さん)
輸送を担当したパビリオンは、最終的にデザイン部門で2位入賞。そのトロフィーまでKONOIKEが運びました。
「友だちのSNSでパビリオンの写真が流れてくるんですよ。その展示品の大半は、自分たちが輸送したもの。“この結果の裏側に、自分たちの仕事があるんだ”と思えたのは、すごく嬉しかったですね」(小池さん)
プロジェクト後には、担当した国のイベント会社を訪問する機会もありました。
「現地マネージャーから『あなたたちがいなければ終わっていた』と言われて。費用は決して安くなかったはずなのに、それ以上にサービスや対応を評価してもらえた。次回の万博でもお願いしたい、という話までいただきました」(小池さん)
また、他の案件では、これまでの活動を通じて築いてきたご縁から、大臣来日時の大阪観光アテンドを任されるという思いがけない“ご褒美”も。梅田スカイビルや海遊館、ドラッグストアを一緒に回るなど、物流の枠を越えた貴重な交流の場となりました。
過酷なプロジェクトを走り抜けた3人は、これからのキャリアについても、それぞれ明確な想いを持っています。
山咲さんは、3歳のお子さんを育てながら国際物流の最前線で働く母として、「後輩たちのロールモデルになりたい」と話します。
「いつか子どもを連れて海外に出てみたいし、駐在や現地採用として働くのも一つの夢。夫も同じ業界なので、家族ごと海外で挑戦する形もありかなと思っています」
白川さんは、「もう一度海外駐在をしたい」というシンプルな願いを口にします。
「前職でインドネシア駐在を経験して、現地で働く楽しさや学びが本当に大きかったんです。英語が特別得意というわけではないですが、それでも自分なりにやっていけた。その実感があるからこそ、もう一度チャレンジしたいですね」
小池さんは、万博やアライアンス営業で得た実感をこう語ります。
「文化も考え方も違う人たちと一緒に、一つのゴールに向かって走るのは、めちゃくちゃ大変だけど、それ以上にやりがいがあります。これからも海外と関わる仕事を続けて、いろんな国の人たちと何かを成し遂げていきたいです」
「期限は守られない」「日本の常識は通じない」。そんな世界の中で、それでも折れるべきでない線を守り、必要な人を巻き込み、26カ国分の展示品を無事に万博会場へと届けた国際物流関西支店業務二課の3人。
大変さを語り始めれば「シリーズ化できるくらいある」と笑う3人の姿こそ、KONOIKEが世界の現場で発揮している底力を物語っています。