「インドを第二の創業地とする」 KONOIKEグループの挑戦【前編】
これまでもアジアや欧米で海外展開を進めてきたKONOIKEグループではあるが、インドでの戦略は一線を画していると言える。その大きな違いは、展開する事業の多様さだ。
国際フォワーディングを中心に、現地での物流や、エンジニアリングを付随させたサービスを提供する。それがこれまでの基本戦略である。一方で、インドでは国際物流に留まらず、日本国内の全事業での進出を念頭に、「インドを第二の創業地とする」を合言葉とした計画が進められているのだ。実際に、国際物流、メディカル、鉄鋼、生活関連、エンジニアリング事業については既に種がまかれ、今では花開くものも出てきた。KONOIKEの技術は、いかにインドの地に受け入れられ、事業化に至ったのかーー インド進出のスタートから、決して平坦とは言えなかった、これまでの道程を掘り下げていきたい。
KONOIKEグループがインド事業へ取り組み始めたのは、Googleストリートビューが世界に公開され、最初のiPhoneが発売された2007年のことだった。当時のインドはIT産業の急成長が注目を集め、投資ブームに乗って経済成長率は7〜8%の高さと見込まれていた時期だ。その一方で、さらなる発展のためにはインフラ整備などが課題とされていた。これからインドは益々発展していく—— それならば、世界で最も有望な市場へ参入しない理由はない。KONOIKEは国際部門が主導して、業界ではいち早く、現地の法律やインフラ、事業開拓の可否についての調査を開始し、2008年にはニューデリーとチェンナイに駐在員事務所を開設することとなった。
当時インドの医療機器は数十万社以上の卸が全国にあるといわれており、商品名も曖昧で、メーカーと病院で認識のズレが発生していた。そして、流通が複雑だからこそ、盗難や誤配送も多発していて発注そのものが一苦労だった。「このままでは流通がインド医療のボトルネックになりかねない」。情報収集を重ねた結果、「その解決策の一つになり得るのは標準コードだ」と天野は考えた。日本ではメーカー各社が自社製品の品番を管理しているが、インドにはそういった文化がなく、全てのメーカー・全ての製品を管理できる標準コードをKONOIKEが創り出せるチャンスであった。インドの発展とともにヘルスケア市場が拡大するとき、必ずこれが大きな強みになる——。閃きのあと、天野はまず国策として取り組むよう、インド政府に提案を持ちかけた。この案は歓迎され、KONOIKEは国のバックアップを得ることとなる。まさに順調な滑り出し……のはずであったが、一緒に歩み出そうとした矢先に政権が交代し、計画は頓挫してしまった。そこで、2013年に民間企業としてCarna Medical Database Pvt. Ltd.を設立。現地でスタッフを集めながら、手探りの、しかし、「物流インフラを自ら作る」という明確なビジョンを持った取り組みが始まったのだ。
「ところが、実績の無い、しかも国外の企業に対する信頼は、当然ながらゼロです。現在は200社50,000アイテムほどを管理している私たちですが、初めの1社が決まるまでは、何十回も会合を重ねる必要がありました。国は病院や医師の正確な数を把握しておらず、私たちはまず、インドにどれだけの病院があり、何人の医師がいて、診療科目は何か?を調査する必要もあったんです。地道に足を運んで、どの病院でどの医療機器が使われているのかをデータ化して…。そうした動きと、インドの医療インフラに寄与したいというひたむきな想いに共感してくれた主要メーカーが掲載を認めてくれると、徐々にKONOIKEおよびCarna Medical Database Pvt. Ltd.への信頼となって、掲載数は加速していきました」(天野)
そうして2016年、インド初の医療機材データベース「医療材料ディクショナリー」を完成させると、KONOIKEはそれを印刷した総合カタログを製作。インド全土の病院への無償配布を決めた。地方の病院や公的な病院には充分なIT設備が装備されていないところも多く、印刷されたデータであれば、必要なページを切り取って発注台帳のような活用も出来るからだ。紙で刷られたディクショナリーは、瞬く間に8,000を超える病院に受け入れられた。KONOIKEの創り上げた標準コードカタログは、現在まで2回の改定版作成を行い、計3回の配布が行われている。「医療材料ディクショナリー」発行から約10年となる2025年時点では、医療業界のデジタル化がまだ進んでいないことや、日本とは違って保険制度の整備がこれからであることもあり、データベースをそのままデジタルデータとして活用するには至っていない。しかし、インドで初めての標準コード作成の試みは、着実に病院での活用やメーカーの意識改革につながっている。
また、コロナ禍においては、マスクなどの衛生用品が極端に品切れした反省を踏まえ、データベースを活用してインドの衛生用品メーカー36社と連携。デリー医師会サイトを経由して在庫情報をインド全土に発信することで、「衛生用品が購入できなくなるのではないか」という疑惑や極端な買い溜めを防ぐことに貢献した。後にこの取り組みは、インドで最も歴史あるデリー医師会からの絶大な信頼に繋がり、他の医師会への紹介や、ドクターの会員登録などにも繋がっていたのだった。コロナ禍ではこうした信頼関係を基に、日本法人向けの緊急対応サービス(感染した場合に優先入院をサポートするサービス)も構築した。41社550名以上の日系企業社員の健康リスク軽減をサポートしていく中で、日本企業との関係性も深めることができた。
「メーカーからも掲載料を受け取っていませんでしたし、ディクショナリーは無料配布で、直接的な利益にはなっていません。でも、信頼という基盤をつくれば、そこからどんなふうにも展開できます。KONOIKEは信頼からビジネスを生み出していくんです。事業として軌道に乗るところまであと一歩と、10年という大変多くの時間を費やした展開となっていますが、価値を認めて大きく構えてくださった鴻池社長のおかげで、お金では買えない「インドの医療業界における信頼基盤」が出来てきました。2019年以降はメディカル事業だけでなく、他の国内業務本部のインド進出も目標に、メンバーを強化しています。“第二の創業地”を目指して、チャレンジ精神と個性あふれるチームとして、新規事業も推進していきました」(天野)
医療分野のデータベースやコネクションは、日本政府関連の取り組みにも寄与している。主にインドでの調査を軸としたプロジェクトを任されることで、日本国内での信頼も築かれていった。その他、日本企業のインド進出サポートにも大いに役立ってきた。例えば、製薬会社のサンプリングや医療機器の営業サポートを診療科目に合わせて提案できるのは、まさにKONOIKEの強みだ。ここではインド国内での信頼が生きていて、KONOIKEだからと話を聞いてくれるドクターがいる。日本国内でのメディカル事業の取引先がインド進出を決める際にも、欠かせないパートナーとなることができた。
また、当初の目標だった滅菌事業も動き出した。2024年には、インドでは数少ない医療器材の滅菌サービスを提供するSPD India Healthcare Pvt. Ltd.がKONOIKEグループに加入し、現在ではデリー市内および近郊の150以上の医療機関や施設に滅菌サービスの提供を行っている。滅菌作業は自社滅菌センター(デリー南部)にて行い、夕方回収した医療器材を夜のうちに滅菌し、翌朝早く病院へと届けるサービスだ。また、一部の病院では滅菌室の運営そのものを受託し、病院内での滅菌業務も行っている。今後は業界のパイオニアとして、高品質な滅菌サービスをインド全土へ拡大していきたい。
さらに、一連の取り組みを通じてアプローチのあったタミル・ナードゥ州の公的機関とともに、新しい医療製品供給の仕組みづくりにも取り組んだ。将来的には滅菌センターを取り込んだ次世代型物流センターの構想も描けた。それは、各種データベースを起点として物流センターと滅菌工場を組み合わせた、KONOIKEにしか実現できない唯一無二のビジネスモデルだ。当初とてもインドでは実現できないと思われた構想が、今、実現しようとしている。日本とインドでは、医療環境も流通事情も大きく異なる。しかし、「健康」や「安全」を行き渡らせたいという想いに相違はない。人材の相互交流を含め、お互いの良い点を学びながら、日印の医療業界の発展に貢献していきたい考えだ。(執筆:株式会社 大伸社ディライト)
※所属・役職名等はインタビュー当時(2025年3月)のものです。