【前編】空港事業のはじまりと歩み、そして未来
2009年にコウノイケ・エアポートサービス(株)が東京国際空港(羽田)でも機内清掃業務を開始。創業130周年を迎えた2010年には、某航空会社から3社を譲り受け、現在「(株)Kスカイ」「(株)Kグランドサービス」「(株)Kグランドエキスパート」として、接客や運航管理などの業務へも拡大。“自ら需要を生み出し、単なるサービスを超えたホスピタリティ。”と謳う(株)Kスカイは、関西国際空港と東京国際空港(羽田)を拠点に航空会社の旅客サービス事業を展開。同様に、“「安心」「革新」の実現により、No.1グランドハンドリング企業を目指す”をスローガンに掲げる(株)Kグランドサービスも、お客さまの快適な旅立ちの安全に貢献している。このように、グループ各社は着実に経験と実績を積み重ねていった。
日本空港サービス(株)の代表取締役・青戸 一登は当時をこう振り返る。
「当社は元々、独立系として長年にわたり成田国際空港で空港事業を請け負ってきました。それまで成田国際空港に同業他社は数社しかありませんでしたが、航空需要が世界的にも伸びていく傾向が高まり、新規参入が急激に増えていったのです。独立系にとって人材の確保や機材の調達には限界があり、会社を存続していくには厳しい状況に置かれました。
一方、KONOIKEグループとしては、当時、東京国際空港(羽田)や地方空港に進出はしていたものの、関西国際空港を主要拠点としていました。成田国際空港は、アジアと北米、欧州を結ぶ重要なハブ空港であり、その戦略的な位置付けは年々高まっていました。KONOIKEグループにとって、成田国際空港での事業強化は、空港事業を進める上での重要なステップでした。まさにお互いの意思がマッチしたのです」(青戸)
「当社は成田国際空港では存在を知られていましたが、全国的には知名度が低く、大手企業であるKONOIKEグループの一員になることで、採用面での恩恵は大きかったです。さらに経営基盤が強化され、財務的な安定性が向上しました。例えば、GSEという特殊車両を購入するのですが、資金面や技術の認証など、車両購入時の信用度が上がったのは確かです。
また、コロナ禍に運航便数が激減した影響で業務が縮小された際、余剰人員を抱えたのですが、KONOIKEグループのさまざまな営業所へグループ内出向が行われました。今だから言えますが、グループ内出向がなければ、コロナ禍を乗り切れてなかったかもしれません。
そして現在は、グループ内の同じ業務内容の会社と、半年から1年の期間限定の交流人事を実施しています。各社、先進的な技術やノウハウを持っており、社員は新しい環境でそれらに触れることで個々のスキル向上や技術力のアップにつながっています。同様に、受け入れ側としても刺激を受け、業務に対する姿勢や人に対するケアの仕方に変化が表れたこともありました」(青戸)